2006年05月24日
ヽ(;▽;)ノおひさっ♪♪
quadrophenia
「ご無沙汰してしまいました、この間会った時は、“ザ・ピーナッツ”にはまってたよね?(笑)」
Netsu氏
「改めて聞いても超絶ボーカルです。倍音の二人がその二乗に・・・さすが、エドサリバンショーに呼ばれただけありますよ。」
Netsu氏
「最近、人づてに小沢健二の新作を手に入れまして、、割とヘビーローテしています。全インスト!という往年のファンにはショックの強い内容なんですが、先々の日の出を見るような音たちに、すごく淡い希望の錯覚を覚えますです」
quadrophenia
「オザケンかぁ~~、今もいたんだ? 実は興味の範囲の遥か外なんだけど、今度お願いします。ぺこ <(_ _)> さて僕は5月入ってず~~っとクラッシック、Netsu氏風に言えば、そっちに振幅が振れっ放し」
Netsu氏
「私の場合、何となくマスターピース化されつつあるのが、バッハの一連のチェンバロ作品」
quadrophenia
「学校じゃ、ハープシコードって英語読みで教えるんだよね、今はどうかな?」
Netsu氏
「誰がどの曲をとか、そんなことはよくわかんないですけどね、どれを聞いても、精緻な線の細い音が絡まる様子が心地良くてですね、、何となくいつもローテーションの中に入っています。」
quadrophenia
「バッハはねぇ、フーガの技法も、平均律クラヴィーア集もやめられないよ。音の絡まり感って、お約束のミニマルミュージックにも共通する部分が多いと思うよ。実はベースの練習にインベンションを使ってるんだけど、20年近く練習してて、未だにキチンと弾けないんだ。ヘ(´o`)ヘ とほほ・・・・」
( ^‐^)_且~~
Netsu氏
「先週末に、渡辺謙の「明日の記憶」という映画を見てきました。自分内の色々が刺激され、ずいぶんと感動したんです。そんで、映画を見たあと、負けることについて麺類などを食しながら考えていました。そんな折、脈絡なく“9.11で、日本は初めて太平洋戦争に負けたんじゃなかろうか”と雑念がね、湧いてきたんですよ。他の誰かも言ってそうですが・・・なんとなくそんな気がしまして。」
quadrophenia
「9.11って去年の衆議院選挙のことじゃ無いよね??(°〇°;) ?」
Netsu氏
「(笑)どうも、9.11以降に作られる色んな作品が、そういった質を帯びている気がなんとなくしていたんです。分野に限らず。「明日の記憶」然り!なんですが、最近の「新しいもの」は、量の多い少ないを問わず、9.11のエッセンスが入っているように思ったりするんですよ...」
quadrophenia
「( ̄~ ̄;)ウーン」
投稿者 Wataru : 17:11 | コメント (0) | トラックバック
2006年03月08日
futuredays
今年は実に振幅の激しい聞き方に注目
はいはい、最近買ったCDの報告
「We are the 80s」
↓
「ふきのとうベスト」
↓
「SKINNY PUPPY/TWELVE INCH ANTHOLOGY」
昨日と今日の朝のテーマソングは赤い鳥の「翼をください」
作曲への影響大か??
quadrophenia
突然だけど、ジャーマン魂は今のロックに不可欠な流れを作ってしまったわけだ。CANやホルガーシューカイなんかが源流だな。CANは日本人がボーカルだっけ?
Netsu氏
ダモ鈴木さんという人がボーカルだそうです。突然スタジオの門を叩いて突然参画。で、ある時突然練習中に叫びながら脱退・・・という、ヒッピーの中でも相当ブチ切れた方だそうですよ。90年末、突然日本に現れ、今ではダモ鈴木バンドとして活躍中とか。CAN、クラフトワークやアシュラテンペル等々くだんのNeu!!もそうですが、ジャー マンロックあるいはジャーマンプログレとかエクスペリメンタルでもいいんですが、自分の中では基礎になってる気がするです。
quadrophenia
CANのFuture Daysはいいなあ。めちゃくちゃおしゃれで、めちゃくちゃソウルフル。Moonshakeはローリングストーンズに演奏させても良いんじゃないかって思ったよ。
Netsu氏
CANの中で一番好きな楽曲がfuturedaysなんですよ。一発録りらしいのですが、どうやら「部屋の窓を開けて」録音したそうなんですね。デトロイトテクノの創始メンバー、デリックメイも、「ヌード・フォト」という曲を作る際、とりあえず全裸でシンセを手弾きして録ったそうです(笑)
quadrophenia
(爆笑)それって、ありだよ、うん、絶対
Netsu氏
ライブの感覚はステージという訳ばかりでなく、個人的な「場」の中で発生する事もあるのだなぁと。マイルスデイビスの「カインド・オブ・ブルー」のようにいきなりの密室セッションで「場が立つ」事が傑作に結びついたりとか、事例はあるわけですよ。そういった事を考えていると、「レコード」という言葉の本質的な意味はそういう事だったよな、と、立ち返る気持ちになりますね。報道写真との近似性というか・・・
quadrophenia
あとね、日本の「downy」、去年僕が一番聞いたバンドなんだけど、近似性を感じるんだな。ボーカルは同じだ。また「モグワイ」は知ってるかな?
Netsu氏
モグワイの白いジャケのライブ盤は気になるです、ハイ。
quadrophenia
全体の雰囲気で言えば「くるり」なんかも思い浮かぶ。好きなこと何でもやっちゃえ!っていうかさ。
Netsu氏
quadropheniaと同じで、僕も「くるり」のナンデモ性はCANのソレに似ている気がします。いつだか突然打ち込みで四つ打ちのキックに乗って歌う曲がヒットチャートに乗った時、なんでもない作りの筈なのに、えらく新しさを感じた覚えがあります。Inventions For Electric Guitarも良かった。あまりに和むんでその後はディストーションしたサウンドが欲しくなる(笑)
quadrophenia
(笑)やっぱりね。
Netsu氏
スピードはホントに好みです。。今現在の「テクノ」と呼ばれる機械化されたダンスミュージックの基礎は、「クラフトワーク」よりもマニュエルゲッチング(アシュラテンペル)の方ではないかと思っています。やっぱりドイツなんですが(笑)
投稿者 Wataru : 18:07 | コメント (0) | トラックバック
2006年02月14日
バランタイン

バンドの勢力図のひとつに酒があるのだが、
その薀蓄に関してはベースA型のみ蚊帳の外なのである。
quadrophenia
さて今日の日とは何の関係もなく、最近はコンクリート荒野(笑)を鉄の靴で歩くような音楽を聞きすぎたせいか、反動で70年代フォークソングを引っ張り出したりしてたよ。バンドメンバーには嫌われてるんだが、俺、音楽歴は「叙情フォーク歴」が一番長いんだよね(^_^; アハハ…
Netsu氏
極端なモノを聴くと、その逆・・・という振幅で、これまで気づかなかった良さが見える事があるので、知らず知らずのうちにそういう聴き方をしてしまいます。ノイズ後のミニーリパートンとか。
quadrophenia
俺の場合は、原点、いや本質回帰だな。(僕は認めている)
さて、Netsu氏とボブディランの意外な接点を知ってしまったんだが?「アイデン&ティティ」っていうみうらじゅん氏の漫画だったんだ?
Netsu氏
みうらじゅん氏はですね、この飽食・情報過多の世で「表現すること」を真顔で突き詰めている先達だと思っています。アホらしい事に異常ともとれる情熱を注いでみたり、それを思い切り反省してみたり。昨年だか一昨年、「仮性フォーク」というDVDが発売されたのですが、氏が中学生から録り溜めた「童貞ならではの勘違い」をたくさん含んでる音源がぎっしりなんですよ。そのままで聴き続けるには相当のタフさが必要なのですが、山田吾郎氏の鋭いコメントとみうら氏の「すげぇ恥ずかしい」とか「でも聴いて欲しい」っていうせめぎ合いに、つい爆笑してしまうっていう、まじめな姿勢を感じる素晴らしい作品ですよ。
アイデン&ティティ、映画が結構良かったんですよ。青臭くて切ない作品でした。
quadrophenia
その「アイデンティティ」、映画は中村獅童なんかでてたね。実は僕のサブカル師匠のK介くんから昨年末薦められて3部作全部読んだところだったんだよ。今の自分のプレイヤーとしての存在理由、あるいは立ち位置を強烈に突きつけられたんだよね。Netsu氏と同じかもしれないけど、マンガのストーリーじゃなくて、そこに挟み込まれるディランの詩が突き刺さったんだよ。ディランはそこにはもういないのに、ディランが置き去りにしたものに捕らえられてる悔しさっていうかなあ。
Netsu氏
意味スレスレの単語群には、撃たれる感と同時に、微妙な「おいてけぼり感」の余韻も感じます。解りきれないところからくる寂しさも、自分には味のひとつになっています。解釈しきれないというか、「解釈」してしまったらオシマイというか、ですね。
quadrophenia
解釈しようとすると、その自分に悔しくなる!激(^◇^;)爆
100人いれば100通りの主張が出てくる原本みたいなもんだ。下手なことを言う前に視点を変えて(笑)
昔の資料を見ていると、ディランが日本で初めて紹介されたというか、 日本でオフィシャルでLPが発売されたのは1966年頃、ファースト、セカンドの2枚組 み! もうディランがエレキを持ってフォークロックやって、涙流して「It’s all over now baby blue」を歌っちゃったあとだよ。あの当時、1stと2ndが一緒にっていうの、結構多かったのかな?
Netsu氏
尺があまったからもういっこ!っていう、日本ならではというか、買う方も嬉しかろ?というか。僕もおトクという言葉にはめっぽう弱いです。
投稿者 Wataru : 17:51 | コメント (0) | トラックバック
2006年01月26日
初期衝動!

ランボルギーニ ディアブロ!
3台持ってます、ミニカーだけど...
quadrophenia
自分は音楽の何に"取り憑かれて”いるのかを考えたとき、「初期衝動」という言葉に思い当たったよ。そう、パンクがSexPistolsを頂点にポジティブだった頃のキーワードだ。あれから30年たって、パンクにしたって僕自身後追いだけど、その後追いさえ一時的なマイブームに終わってるんだよねえ。なぜかなって、「初期衝動」にリアリティがなくなってしまったんっじゃないか?って考えたんだよ。
Netsu氏
おそらくですが、今音楽をやる人たちの「初期衝動」は、既存の音楽を聴いて、それを「カッコイイ!!」と思うところからきているんじゃないですかねぇ・・・何より自分がそうだったので。
quadrophenia
何がかっこ良かったかは、またあとでね(笑)
Netsu氏
今は「カッコ良さ」が資料化されているじゃないですか?世間では、極私的な「カッコイイ!!」を感じる機会は非常に少ないと思うんですよ。
quadrophenia
そうだなあ、今は資料は自宅のPCで大量に仕入れ、選別できるもんなあ。私的な「カッコイイ!!」はなかなか見つからないものかなぁ。
Netsu氏
ずいぶん前からそうだったんでしょうが、資料が多層化している近頃は、その様子はだんだん際立って目に付くようにに思えてきます。しかし、そういったフォロアー的なものがまずいかと言えば、充分次の「カッコイイ!」を引き出す力を持っているとも思えます。表層的な例ですが、ギターの持っているアイコン、の強さとか。そこを引き金とした初期衝動は、聞く側が「アレの真似でしょ」と原点に気づいてしまえばとても弱いものになるところが弱みなんだろうなぁ…と。個人的にはですね、そういうの、すごく良いなぁと思いますが。
つまるところ、quadropheniaが多種多様な音楽を、大量に聴いてきたために、だからこそ初期衝動を求めてるんじゃないですか??(笑)
quadrophenia
なるほど!僕が大量に、それこそ貪るように追いかけたのは、Rockが貪欲になっている最前線だったってことか! 今デジタルビートに心酔しているのは、そこにこそ「初期衝動」のリアリティがあるからかぁ。
Netsu氏
ギター・バンド編成は表層的にとてもカッコイイんですが、その点電子楽器はあまり格好良くないんですね(笑) クラフトワークやYMO、もしくは最近のターンテーブル使いの様な格好良さはありますが、ステージのカリスマとしては決して多数派ではない気がしますよ、かつての、プログレ好きはネクラというイメージのように。
quadrophenia
激(^◇^;)爆 今の若者がプログレ聞くとゲーム音楽と思うらしいぞ! いったい何を聞いたんだろ?わからんでもないが...(o_ _)ノ彡☆バンバン ギャハハハ
Netsu氏
そんなわけで、電子音楽フォロアー達の「カッコよさ」が、既存ではない音を出す事に向けられたのではないかと思うんですよ。うーん、バンドサウンドも同じかと思いますが、電子楽器の音楽は、ソレがより強調されている気がします。
何となくですが、今、ドイツの音楽家、マニュエルゲッチング氏が、ギターをシンセサイザーに持ち替えた経緯を思い出しました。もっともあれは快楽指向に従っただけかもしれませんがね。
投稿者 Wataru : 18:02 | コメント (1) | トラックバック
2006年01月12日
カバーズ

カバーズ/RCサクセション
カヴァー?
quadrophenia
さて、今日はそんな難しいことを語りたいのではなくて、ぐっと軽くカヴァー曲。とりあえず「リミックス」ってのは除外しとこうと思うんだが(笑)
Netsu氏
リミックス作業は、基本的には「元ネタ」側が依頼を出すケースが多いと思います。
カヴァーの「愛情感覚」のようなものが無いのもそのせいかと。
quadrophenia
愛情感覚かあ、なるほど。
カヴァーにもいろいろあって、自分のアルバムの中で数曲取り上げたり、または全部カヴァーでアルバム作っちゃったりとか。ビートルズデビューの頃の時代はここでもとりあえず脇にに置いといて。
(^―^;A
そしてトリビュートアルバムね。
Netsu氏
即思い出したのが、RCサクセションの「カバーズ」でした。
quadrophenia
( ;^^)ヘ..忌野氏は「替え歌」って言ってたぞ?
Netsu氏
前述の「愛情感覚」は、そのままトリビュート、となるのでしょうが・・・
トリビュートを含むカヴァーが及ぼす力で、比較的多いと感じるのは、「ミュージシャンズミュージシャン」を、「ミュージシャン」に変換する力かと。不思議とカヴァー曲って軽くなる気がして…。カルピスウォーターと原液の違いみたいに。
quadrophenia
ヾ(@^▽^@)ノあはは まったく例えがアートだ!
Netsu氏
軽さはデメリットではなく「聞く側に浸透する」ことを前提に考えれば利点が多い気がするんですよ。
ただ、カヴァーで浸透が終わってしまう例もたくさんあるんですがねえ。ここはひとえにカヴァーした側が声高に言うか言わないか、だと思います。「いいんだよコレ。聞けよ」的な発言がもう少し欲しい気はします。
quadrophenia
ロッド・スチュワートは70年代のアルバムに必ずカヴァー曲を入れてた。人々から評価されない名曲がいっぱいあって、それを自分が掘り起こしているようなことを言っていたよ。
Netsu氏
ロッド・スチュワートの例は、まさに「俺、これ好きなんだ!」の王道だと感じます。
DJの感覚、目の付け所のセンス自体が価値を帯びるような。そういうの、やっている側はとても気持ちよいだろうなぁと。
quadrophenia
トリビュートものがもてはやされるようになってから10年以上になるかなあ。
自分でも笑っちゃうんだが、昔ゲイリー・ニューマンを探しててね、見つけたのがトリビュートアルバム。これが2枚組みでね、かなり良くてね。未だに本物のゲイリー・ニューマンを聴いたことがない... 激(^◇^;)爆
あとね、いつもいつもランディー・ニューマンと間違っちゃいそうになる(自爆)
Netsu氏
ゲイリーニューマン、僕も原曲を聴いたことはありません。超定番なのに。
quadrophenia
へえ、定番なんだ?
Netsu氏
当時の記事を読むと、その時期でもずいぶんと異色の扱いを受けているみたいですね。おかげで脳裏に残っているのが、あの「眉ナシスキンヘッド」の入道姿で。ファン層は濃厚な気がします。時代のせいか、ゲイリー氏も「ミュージシャンズミュージシャン」の範疇に入ってしまうんでしょうかね・・・
quadrophenia
カヴァーものに手を出すときの心理ってのは、怖いもの見たさに近いものがあるような気がする。だって、手を出したくなる以前にすでにいい曲なんだからさあ、自分の中では!
Netsu氏
基本的に原曲以上のものは期待しないようにしています。そっくりそのまま演ったとしても、別の曲である、という防護線を張るような。即興性では無い意味で、ジャズの感覚に近いかもしれません。
実際カヴァー購入後、聞いてみて「これ演ってる人が、本当に原曲を好きだ」というのがわかるような曲はいいですね。
quadrophenia
Netsu氏は、演り手が曲を愛してるかどうか? ってのを大事にしてる1面があるよね。サンプリングにしてもさ、うんうん、わかるよ。
そんでね、先に見つけたいい曲がカヴァーだったりした場合には、多少の落ち込みから意地が顔を出す! なんてことも僕にはあるのよ。
Netsu氏
・・・わかります。インターネット上で手に入るものには、そういった類似品が多々あるなぁと実感しています。
quadrophenia
実はさ、最近レジデンツのトリビュートを手に入れたんだよ。
Netsu氏
彼らをトリビュートする面々ですか・・・空気が想像できますね。
むしろ、好ましい空気ですが。
投稿者 Wataru : 12:01 | コメント (2) | トラックバック
2006年01月10日
ブロードウェイブギウギ

祝!初春。
今年もしょっぱなからお世話になりました。
悩みの2006年って感じです。
quadrophenia
ふと気づいたんだが、Rockの世界って、絵画や文学の世界からずいぶん遅れてるな、って事に気づいたんだ。テクノで思ったんだが、ああいうやり方は絵画の世界ではすでに1920年代~ピカソやブラックで完成されちゃってるな、って。
ノーニューヨーク聴いたら、アバンギャルドはすでに、デュシャンの「泉(爆笑)」で極まってたんだなと脱力したりしてね。
Netsu氏
対象物を抽象化し始めた画家は、後期印象派のセザンヌがおそらく最初かもしれません。ピカソ、ブラック、初期のデュシャンが完成させた。というのは全くだな、と。実際、打ち込み作業自体が、「アタマでノリを分解再構築する」という作業ですし。キュビズムの考え方もその点同様かと、興味深いです。
quadrophenia
文学の世界じゃ1960年代にバロウズが実践したカットアップはまさにテクノだし。
Netsu氏
「テクノ」の範囲で言えば、最近の傾向は印象派に近い音のつかみ方をしているように思えます。音色そのものを見るような。ギミックに意味性がまるで無かったりとか・・・ミュージック・コンクレートと呼ばれる作業(カセットテープを切り貼りする)は、バロウズの時代に同時進行していた模様です。フルクサス等の活動も然りで。
quadrophenia
うん、現代音楽畑ね。
Netsu氏
ただ、それらを総括したとしてもバロウズは過激でしたね。意図的にカットアップしたにせよ、ヘロインの寸断幻覚そのもの、のノリを作品化する作業自体に、かなりのヤバさを感じます。裸のランチ(Naked Lunch)なんかね。
quadrophenia
(裸のランチ)の映画は公開当時は何も分からなかった(苦笑)
ジャンクな音楽を通過して、やっと少しバロウズが面白くなってきたところだよ。
Netsu氏
昨年秋ごろ、横浜美術館で「ナマ泉」を見てきました。意匠の突飛さはともかく、「展覧会に出して断られた」という経緯が、いかにもパンクな武勇伝だな。と。デュシャンは大ファンです。
quadrophenia
ほんとかよぉ? 同じ便器だったのかぁ?(笑)
だけど、ネツ氏のアプローチは面白いよ。僕の考えることはみな手の内って感じがするよ。
(^―^;A
Netsu氏
いえいえ。音楽と美術/文学を、軸を合わせて改めて考えてみた事はあまり無かったんです。別物と思っていた訳ではないですが・・・
飽きと退屈が次の展開への推進力に繋がるのは、分野を超えて恥知らずで頼もしく、次を待ちたくなる気分にさせられますね。
quadrophenia
本題に戻って、後追いな自分なわけだけど生意気なことをあえて言わせてもらうと、Rockにやっと哲学的啓示が与えられたのは、僕も「ボブ・ディラン」によってだと思ってる。でもそれはやっと1960年代中頃~だと思う。
Netsu氏
同意です。いつぞやの記事で「ボブディランは塩辛のようなもんだ」という、言い得て妙な発言を目にしたことがあります。皆、好きか嫌いかはっきりしていると。哲学ととるか/寝言ととるか、啓示ととるか/説教ととるか・・・人それぞれだとは思いますが、聞ける人も聞けない人も、言語を解せずとも「何か、静かに強く訴えている」という心持ちが「オンガク」で伝わる凄さはあるなと思います。それだけで自分にとっては特別な音楽家です。
投稿者 Wataru : 23:12 | コメント (3) | トラックバック
2005年12月29日
成りあがり

矢沢氏のことを語るには、僕には少し複雑な事情もある。
70年代の矢沢氏はロックというか、フュージョンサウンド。
リーゼントきめてた方々はかなりオシャレな面々だったに違いない。
「やっちまった!」は続く
quadrophenia
「やっちまった! やりたかったし」で言えば、デビッド・ボウイも世紀末に「アース・リング」ってアルバムでデジタル・ロックしたんだけど、僕にはマストアルバムで、今でも半年に1回は聴く。その前にもう音楽やらないような、引退めいたこと言ってたのに、ティン・マシーンってバンドを結成したけど、これは僕にはコケた企画だったから、「アース・リング」も期待はしてなかったんだが(笑)。
Netsu氏的に考察すれば、「またやっちまった!」ってとこかな(爆)
Netsu氏
デビッドボウイに関しては、毎回「やっちまった」な気もします。
quadrophenia
びゃははは (≧ω≦)b
Netsu氏
「やっちまい続けてます!」とも(笑)
故に変幻自在なのかもしれませんが。アースリングは、ジャケットにびびってまだ手を付けてないんですね。個人的には、それこそ王道ですがジギースターダストのタイトル曲。ヤな事があった夕方などに聞くと一撃ですね。永ちゃんの「成りあがり」クラスの効果があります。
quadrophenia
後追いで聴いた世代だけど、ジギースターダストにも元ネタはあるんだよなあ。
そんで、話の角度を少し変えるけど、僕はオリジナル(原曲)探しを良くする。カヴァーがすばらしい場合もあるけど、やっぱりオリジナルには「生まれた!」っていうイデオロギーを感じるんだよ。Bad Fingerの「Without You」はニルソンのカ ヴァーが超有名で、マライアキャリーがカヴァーしたときはもろ、ニルソンのカヴァーだった。アレンジ変えるなら分かるけど、カヴァーのカヴァーってのが気に入らなかった!
Netsu氏
勝てば官軍というか、いつの間にか「明星」より「平凡」が元祖面をして店頭を席巻したりとか・・・そういった憂き目にあっているリアル元祖は、掘り起こす/カバーする側が声高に原曲の良さを訴えてなんぼかと。
たとえそれがモンド視点であれ。
そこで、「サンプリング」かと。
サンプリングは様々な問題も同時に生み出しましたが、カバーではなく「そのもの」を流すことで原曲のエッセンスを直に再度シーンに流す効果があるとも思えます。
quadrophenia
なるっほど、そういえばそうだね。エアロスミスが復活できたのも「Walk This Way」が「サンプリング」された影響が大きいと思う。
Netsu氏
それが顕著で、とてもいいなあと思わせたのは、電気グルーヴの「シャングリラ」でした。ずっと聞きつづけたくなるシルヴェッティの「スプリング・レイン」の一フレーズを、まんまサンプリング。曲もサワヤカでしたが、何より姿勢がサワヤカでした。好きな曲だったんだろうなぁ。っていう。
quadrophenia
僕はね今でもカヴァーと知らずに聴いてる曲があるんじゃないかと思ってる。プチ悔しい。知らずにいたくないっていう、半分病的。だから音楽の探求はやめられないし、自分ひとりでは限界もあるんで、仲間探しをつづけるのだなあ。
Netsu氏
同意です。上記サンプリング文化・DJ文化の直撃を受けた世代なので。悔しいという感覚すらマヒしている傾向があって・・軽い「病み」を感じますね。そのへん。「元ネタ」という言葉遣い自体がもう・・・(笑)
quadrophenia
うんうん、サンプリングってのはパンク以後最も重要なキーワードのひとつだと思ってる。音楽で天下を取るのに楽器を上手に弾く!なんてことは必要ないってことがわかってしまったからね。
Netsu氏
ただ、音色にはウソもへったくれもないので。音の響きが何よりで、それを共有するというのは更に素晴らしいことかと。
quadrophenia
音の響きねぇ... 僕はNetsu氏に薦められるままに、また生物の存在しないようなコンクリートの荒野を目指しそうだよ(玉砕)
投稿者 Wataru : 23:15 | コメント (0) | トラックバック
2005年12月26日
Metal Machine Music

Metal Machine Music/Lou Reed 1975
Disk1 A:Metal Machine Music
B:Metal Machine Music
Disk2 A:Metal Machine Music
B:Metal Machine Music
quadrophenia
今回のテーマは「ついやっちまった!」なんだけど。昔は「やっちまった!」にしたって大手のプロダクションが絡むわけだが。
今回Netsu氏推薦版にルー・リードのメタルマシンミュージックが入ってたね。ルーリードと言えばメタルマシンミュージック。ネーミングは最高だよ。ネーミング買い!(笑)こないだどうしても聞きたいっていう友人がいたので、わざわざLP持ってるドラマーTに頼んでMDにしてもらったよ。もちろん、1枚目のAサイドだけね(爆笑)おんなじだもん。
これが結構15分聴いちゃうんだよね。なんかノイズの中に埋もれてる音を探してるうちに時が過ぎていくんだよ。
Netsu氏
私も今回久々に聞いてみたところ、意外に綺麗な音だったので。つい... 音は完全にエレクトロニカですね。ギターの爆音アンビエント。いつまでも聞けます。
quadrophenia
うんうん、意外にきれいな音、爆音っていうには今となってはちょっと物足りないかな。ものすごい大きな、宇宙的規模のうねりだよ。ルーリード自身は後に謝罪してるけど、いやいや、少なくとも僕にはとても大事なアルバム。
Netsu氏
ルーリード自身の「謝罪/自画自賛」の繰り返しは、やむを得ない事かと。大友良英並の確信が無ければ、あれほど輪郭の無い音をプレスするのは勇気が要ります。余談ですが、大友氏の新作は必聴の内容です。ぶん殴られました。
quadrophenia
輪郭が無いって言うか、ほんとのところ、雑音なわけだよねぇ(;^_^ A フキフキ
勇気がいるというか、オフィシャルで出せるところが影響力の大きさを物語る感じもするし、パイオニアとして認められている気もするし。レコード会社は知らなかったのかな? でも日本版も出たんだよね。ドラマーTから当時の音楽誌の切り抜きもらってね、これが宝物ヾ(@^▽^@)ノあはは
Netsu氏
メタルマシン~にしろ、ブライアン・ジョーンズの「ジャジューカ」にしろ「つい、やっちまった。やりたかったし」という音源は大好きです。
「つい、やっちまった。やりたかったし」一定の評価を受ける事が出来る作品、を生み出せる人たちが、世間からアーティストの称号を貰えるのでしょうが、作品ドロップとレスポンス、を繰り返しているうちに、作品を生み出す原動力がどこにあるかわからなくなる、といった気分に晒される事はよほどのオカシイ奴でもない限り、普通にあるのではないかと思います。それで生活している訳ですし、客の事を考えれば「オレ、これ好きなんだ」とはだんだん言えなくなってくるんだろうなぁ。と邪推。そのストレスがMAXになっていれば、イヤでもスタジオで「らしくないフレーズ」などを弾いてしまったり、それがどうしても気に入って仕方なくなってしまったり。あげくコード展開する気なんか全然起きなくなってしまったり・・・と。自然発生的に逸脱して、そっぽ向かれながらも発売して怒られて後悔して・・・自然とこれまでのスタイルに戻る。なんてパターンを想像したり。ただ、「その衝動」以後の空気感は確実に変わるかと。そういった、転機が突飛すぎる作品。を愛してやみません(笑)
quadrophenia
ニールヤングにもあったなあ。あっちの世界に行っちゃったままのシド・バレットとかもなあ...。
投稿者 Wataru : 17:32 | コメント (2) | トラックバック
2005年12月24日
患者OT

Die Zeichnungen des Patienten O.T. / Drawing of O.T.
Netsu氏にいただいたのは1983年ノイバウテンの2枚目のアルバムであった。
何よりリーダーYone氏がノイのアルバム持ってるとは!
別の意味で衝撃である。
(名前の勘違いでアルバムを買ってしまう、愛すべき性格の持ち主のリーダーではありますが...)
quadro
いただいたノイのアルバムは2枚目だね。
Netsu氏
患者OT。アール・ブリュット(アウトサイダーアート、という呼称が有名ですが、差別的とのことで皆こう呼ぶそう)の有名な画家さんらしいですね。知的・精神障害を持アーティストは独特な世界を持っており、以前、資生堂ギャラリーでやっていた「ヘンリー・ダーガー」という方の作品はかなりくすぐられるものがあります。自らの内に王国を築いたというか・・・
quadro
( ̄~ ̄;)ウーン ヘンリー・ダーガーは知らんのだが...
(患者OT)はなんかすごく聞きやすくて、逆に衝撃だよ。1枚目、3枚目も期待したい。
Netsu氏
音楽、をやろうとしていた人たちだとは、意外にも浸透しておらず・・・という。なんだか寓話的な(笑) 50年代の現代美術家、ルイジ・ルッソロが「イントルモナーリ」という騒音楽器を作っているのですが、あれはもろ雑音で・・・大学の講義で聴いたのですが、びびりました。ノイバウテンはあれを音楽に昇華している気がします。本人たちはその流れではない、と言っているそうですが。
quadro
その騒音楽器、CDになってるのかいな?聴いてみたい。
テクノの元祖テルミンみたいなメルヘンはないだろうなあ(笑)
テクノっていえば、エイフェックス・ツインが好きだって言ってたよね?
YMOで育った僕のイメージとは今のテクノって違うみたいだけど。
90年代にはデステクノとかあってさ、僕には理解できなかったんだけどね。
Netsu氏
テクノの歴史はぐちゃぐちゃな変遷を辿っているみたいなんですね。
YMOが提唱した「テクノ」という言葉は、散開と同時に一旦音楽界から消えてしまいます。次に蘇ったのは89年か90年頃、アメリカのデトロイトだそうで。ホアン・アトキンス、カール・クレイグ、デリック・メイの三人(だったかな)が、シンセサイザーに「泣き」の要素を持たせて過分にエモーショナルなダンスミュージックを作り始めた時、改めて、「我々はテクノである」と名乗ったそうです。現在では「デトロイトテクノ」と呼ばれています。で、彼らの音楽がヨーロッパに知れ渡り、イギリスの音楽家が「ユーロテクノ/ビート」を名乗ります。「オーケストラヒット」という、オーケストラの多重奏を一瞬だけ取り出した音(「ジャン!」って感じの)を見出し、中でもそれをこれでもかと多用し、さらに高回転させたものを「デステクノ」と呼んだみたいですね。「デステクノ」はあまり品のない音楽でしたが、一件の貸しレコード屋だった「エイベックス」を音楽として有名にさせた功績が密かにあります(笑)
quadro
えっ? エイベックスって貸しレコード屋だったの?
Netsu氏
同時期、かそのちょっと前、おなじみTB-303というローランドのベースシンセが欧米のどこだかにあるゴミ箱の中から発見され・・・(にわかに信じがたいですが)それによりアシッドブームが訪れたそうで。で、踊りに特化した機能的な音楽がどんどん生産されていく中で、エイフェックスツイン登場。と。
現在は、フロアに特化したものを「テクノ」、自室聴きに特化したものを「エレクトロニカ」と呼ぶみたいですね。「エレクトロニカ」は、またすごく面白いんですが・・・元YMOの細野・高橋氏が組んだ、「スケッチ・ショウ」が、そのエレクトロニカをやっているみたいです。音自体は、チクチクピシピシと細かくて、金属で作られた昆虫にハリ治療をしてもらうような快感がありました。
quadro
その90年代を僕は同じデジタル路線でもジーザス・ジョーンズに流れちゃったんだな。またグランジ流行でさ、僕もニルバーナは結局避けて通れなかった(爆笑)
Netsu氏
当時、おしゃれな友人達がこぞって「ネヴァーマインド」を礼賛してました。そうか思ってレコード屋へ行けばあのジャケット(笑)。おしゃれというのが何を指すのかだんだんわからなくなりました。カートコバーンのギターは大好きでした。
quadro
うん、僕も「ネヴァーマインド」のきっかけはバンド仲間じゃなくて、さっぱりした後輩だったよ。おしゃれの音楽だったのかな?
Netsu氏
なんとなくですが、もう解散してしまった日本のグループ、「ブランキージェットシティ」の浅井氏のギターの響きに、似た質のものを感じます。
quadro
僕はブランキー聞かないけど、浅井氏を日本のギタリストでフェイバリットにあげる人多いなあ。あと10年たったら聴いてみるよ...
Netsu氏
そうそう、「y(最後の警告)」、自分にとっちゃマスターピースです。トーキングヘッズ「リメイン・イン・ライト」の一曲目も同じく。速めの横ノリ万歳。
quadro
「y(最後の警告)」はCDで再発されてすぐに買った。いつも中古でCDを買う僕にしては珍しく新品で手に入れたんだよ
(;^_^ A フキフキ
つづく...
投稿者 Wataru : 22:47 | コメント (1) | トラックバック
2005年12月23日
最後の警告

“y”/The Pop group 1979
脳みそをかき回されるような、そんな音楽を探している中で、ここ20年、気になっていたアーティストにノイバウテン(einsturzende neubauten)がある。新品で買うまでの気力が無かったのも確かだが、周りにノイバウテンの名前を知る人物もいなかったし。
こうしてNetsu氏と出会ったわけだ(なんのこっちゃ)。
quadro
僕は結局メジャー好き。基本はROCKだが、友人の1人には「結局お前はメジャーずきなんだろ?」と。なんかサブカルチャーやアンダーグラウンドを知らないと一人前じゃないような言い方をされて。
結局、ROCKで反体制かと思いきや、その実、商業主義に飲み込まれてる体制派なんじゃないの?という具合だ。多少の反発心もあるのだが、やっぱり大勢に支持されてるものっていいものだと思う、って自分が好きで、それでいいだろってね。
Netsu氏
メジャーとマイナーに分ける事は、どうも時期に関係する気がします。
10年前のマイナーは、今じゃメジャーに至る事も多しな訳で。
「昔はコアだったんだけど、メジャーになってチャラけちゃって」的な意見はどうも耳に心地よくありませんが、多数なのも事実。グルーピーって奴ですか。
商業主義。僕は十分賛成です。音楽家が音楽でメシを喰うことは、普通にすばらしいことかと。迎合しようがしまいが、素晴らしい音楽であればいいわけで。迎合しても、熱い曲を作る強者が生き残るんだろうな、とも。
だからという訳ではないのですが、カバー曲って好きなんですよ。大勢に支持されているもの、時代に流されなかったものは、当然珠玉かと。
quadro
だけどなあ、メジャー級っって言ったって、NINやケミカルブラザースでさえ、俺の周りには聞いてるやつはいないという不思議。
Netsu氏
踊るための音楽は軽く聞こえがち。な風潮は、今も昔も。と思えてなりません。
quadro
Rockが形を変えて時代に生き残ってるのは、その貪欲さからだと思う。そして貪欲さは常に最新のダンスミュージックをターゲットにしてきたと思うよ?
Pop groupの“y”はRockが調理した、無国籍ダンスミュージックの至高のスープだよ。
つづく...