2009年06月27日
さよならマイケル
同い年です。本当にかわいそうな感じがします。
あまりにも悲しいので、笑わせてもらいます。
2008年06月20日
暗い日曜日
世界で最も古い放送禁止・発売禁止歌のひとつと思われる。
詳細は…
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%9F%E3%82%A2
これが、例の津軽海峡冬景色…ブギ…とつながる、3連続くと暗くなっちゃう説の大元。
2008年06月19日
いい時代だねえ
2008年05月24日
思い出の街から、その後
今日は何とかリハできましたね。
同じ曲をなんどもやっていると、飽きてくるってのもある。
あるいは、もっと高見に昇ろうと何か新しいことを試してみたりもする。
リハ時に曲が完成する!なんてことは、これまでほぼ無い。
だけど、『今の演奏良かったな!』っていう共有感は、演奏の上手い下手に関わらずある。
それがなけりゃあね...
そんでもって、たま~~に、ある程度、ミスの目立たない普通の演奏ができたりする神様降臨があったりする。
思い出の街から
「思い出の街から」はEC結成初期にリーダーの書いた3つの詩のうちのひとつ。
僕とRyuさんが同時くらいに曲を書き始めたらしく、かぶっちゃった(笑)
僕の方が先に作っちゃった結果、Ryuさんの作品は『狼BOY』となり、詩はRyuさん自身によって新たに書き下ろしされることになる。
ただし、元々『思い出の街から』がベースだったため、『狼BOY』の歌詞の中に『思い出の街から』の“残骸”が見てとれる。(笑)
さて、『思い出の街から』はひ弱な曲だったのだが、なかなかに成長してくれた。
そろそろ力技もそこそこにしたいな、と思いつつ、ごり押し信条なんだよね、僕って。
大人って何?みたいな。
2008年05月17日
薔薇ッドof K

我ながら上手い語呂を考えたと思った。
この時期に「花見をする」っていう知人がいたんだが、バラの花見なんだと。
日差しが強くても日陰は期待できないわけだな。
さて、僕も久しぶりに薔薇を見に行って来た。
虫がつく!ってなイメージで自分ではまったく世話する気はないのだが、手入れの行き届いた薔薇の園、薔薇の花は素敵なものだ。
そしてなんといっても、その香りが魅力。
遠い記憶を思い出させてくれる。
でも香水の原料になる薔薇ってのは、数種しかないんだって。

北原白秋が言葉を失った薔薇の花とはどんなものだったか。
思うに、こんな、真紅のオーソドックスな薔薇だったと決め付けている。
(↑これは一輪挿部門入賞作品)
まったく、美しいバラの前では言葉も音楽もかなわない。
園を見て回ると、幾重にも花びらが折り重なったバラの方が多いことに気づく。
常に新しい品種ができるんだろう。
ランとバラは人を魅了して止まない、天候もあるんだろうが、この人出の多さといったら...
さてさて“Ballad of K”
ECメンバーに2年以上内緒にしてきたことがある。
2週に渡ってスタジオ録音した2006年1月、BOKだけは、1テイクのみしか録らなかった。
このテイクが1stデモCDに収録されたのだが、実は僕が個人的に配布したデモCDは、BoKのみ、リミックスしてしまいましたゴメンナサイ。
ささやかなミステイクはあるものの、このテンションは奇跡だったでしょう(この曲に関しては)
だからこそ、手を加えたかったのです。
\(__ )BOK
ギターを1本、ピアノを重ねました、<(_ _)>
テーマにはどうしてもピアノの音が欲しかったんです...(>ヘ<。)
ライブでやることを想定して、期待を持たすFadeOut仕様です。m(_ _)m

2008年01月25日
PASSIVE
PASSIVE(demo)
600エントリー!
さて今年はバンドの足並みが新年から揃わずに淋しいかぎり。
戸堀は近くにいるときもあるはずなのに、1ヶ月以上すれ違いだ。
PASSIVEは10年以上前、その戸堀のために作った曲だ。
10年以上前に米リーダーと、戸堀とその他でバンドやってたんだが、まぁ、ファミリーバンドみたいなもので、リハでは、ドラムはいつもミュート、僕もノーディストーションでプレシジョンを弾いてたりして。
まぁ、元気のいい曲では戸堀はけっこう暴れてて(今そのときの音源を聴きなおすとそうでもないんだが)、アレンジする僕の意向にそぐわないときもあったりと。
そこで、「思い切りドラムに叩かせてあげよう!」「好きに暴れなさい!」とできあがったのがPASSIVE。
ドラムパターンは、なぜか戸堀の大嫌いなオアシス、ブリットPOP的な仕上がりを見せていたりする。
溢れかえってたというか、当時流行ってたんだよね。
1995,6年頃だと思う。
僕はレギュラーで活動してて大好きだったバンドが休止してしまって、活動はリーダーと演奏する以外はほとんど何もしていないに等しい時期。
YAMAHAのシーケンサーと向き合って色んな実験とかして、曲の残骸を溜め込んだりしてた。
戸堀とはやっと一緒にバンドやるようになったんだが、コピーバンドだったんだよね。
ライブなんか全然目指してなくて、ひたすら課題曲をコピーしまくる感じ。
そんでもってできあがったPASSIVEなんだが、演奏する機会には恵まれなかった。
時折思い出したように聴きなおして、歌メロの違いばかりが気になるが、実は歌メロはかなり安易に作ってしまている。
ECで演ってもらおうと思ったが早いか、手直しもほとんどせずに、サビメロはもう、どうにでもなれぐらいのヤッツケ仕事。
だからというか、あとになってサビメロのデキの悪さが気になる。
ただでさえリーダーの歌い方が間延びしてる(YONE節!(笑))のに、メロディが初めッから“ぬるい!”んだよね。
実際の2番の詩は『ボクチャン、この詩は歌えない!』とYONE詩になってます。
確かに歌えないでしょうなぁ、、、、。
でもまあ、オリジナルってのはかわいいもんで、一番初めに演奏してもらった僕のオリジナル曲だった。
当初サビのコード進行が扱いづらかったらしいリーダーから「ボクチャン、この方が歌いやすいし、弾きやすい~~」とYONE流コード進行への変更を求められたりしたが、どうにかこうにか2コード&ベースのカウンターラインに納得してもらった。
デモではギター、金系のモノ音を4つ重ねてるんだが、これはECのライブじゃ再現不可。
もともとトボリ用に作った曲だからぁ、はぁ、それはいいとして、さびのストリングスの上昇効果は何とかしたかった。
それが僕のECへのほとんど唯一のリクエストだったと思う。
Ryuギターがそれに応えてくれてるわけで。
合宿思い出します。
ブログが立ち上がった頃の話。
今日は600エントリー目。
2年半たってPASSIVE変わっちゃいそうです。
同じ演奏に飽きたんじゃなくて、メンバーの意識が変わっちゃったのだな。
心の中では、“疾走系でも若いモンに負けん!”みたいな気質もあるし、やっぱりトボリも暴れてるんだけど。
ちょっとラブリーに変化してきてるんであります。
2008年01月17日
passive
テスト
PASSIVE(demo)
2008年01月16日
slush up(ECボツシリーズ)
ECの倉庫を見ていたら、没になった曲も未だにUPされてて、今後、こいつはどういう運命をたどるかってことを少しだけ考えてみたりする。
SlushUpはRainDanceと同じ頃、そう上京1年目くらいに作った曲だ。
めちゃめちゃ恥ずかしいデモテープが残ってるんだが、自分の作品はかわいいものだ。
しかし、それ以後のバンド活動でも採用される機会はまったく無かった曲。
20年の時を経て、手直しし、詩も新しいものに替えた。
詩の原型が半分くらい残っているRainDanceとは多少の差がある。
しかし、SlushUp(当時の題名は違う)に歌われた詩の世界はRainDanceに少し採用されてる。
うん、この2曲は兄弟みたいなものなのだ。
slush up
ECのスタイルは、メンバー自身が好む好まざるに限らず、“早い曲が好き!”に違いない。
ならば極めつけがあっていいと思った。
「え~~こんなのやだ~~」と言いつつ、テンポ130~150の8ビートに結構ノレる体質なんである(ラブリー)
また、メンバーに「どういう曲がお前らしいのだ?」と問われてもいた。
未完成のものはずっと心に残りつづける。
脳裏をよぎるのはその類ばかりだ。
そしてECでやりたかったのはSlushUpという答えがでた(大げさだが)
しかしSlushUpはボツッた。
今のところ1度も演奏されてない。
誰も触れもしない。
同じにECに持ちこんだ、兄弟のRainDanceは2年も演奏されて、しかも激しく変化しているというのに。
リーダーはキレイな日本語が好きだ。
いや、お行儀の良い日本語が好きだ。
加えて知的なメッセージがダイスキだ。
僕の最終学歴が羽後自動車学校卒ってのも言葉使いに影響しているのかも。
2007年11月08日
恋はあせらず
“ハシビロコウ”発見。
EazyCompanyのイメージキャラクター。
駅の壁新聞。
結構マイナーな鳥だと思ってたけど、少しずつ知名度が上がってきているのかも。
アフリカの鳥だと思ってたんだが、ドイツからきたとは。
名前はルタンガって、やっぱりアフリカっぽい。
上野動物園にいたとは!
いつかにらめっこしに行かねば!
EazyCompanyのネーミングはリーダー。
ECの飲みの席では、頻繁に兵器とか、軍艦とか戦闘機、戦車なんてのが話題にのぼるのだが、その頃バンド・オブ・ブラザース(第二次世界大戦時の米国陸軍第101空挺師団第506パラシュート歩兵連隊第2大隊E中隊(通称:イージー・カンパニー)の訓練から対ドイツ軍戦勝利・終戦までを描いたテレビドラマ)のDVDがバンド内で回覧されてて。
(僕は、その名前から戦争映画だとは思いもよらず、無名のロックバンドの青春映画、サクセスストーリーじゃないかと思ってた。)
つまりは何となくE中隊から命名したわけです。
“イージー”ってところがバンドの気分をそのまま表してる感じと、“カンパニー”っていう日本でイメージされる雰囲気の堅さのマッチングが気に入った。
もともとダイナマイト・ウーロンてネーミングも前後の落差がチョーお気に入りなわけで。
それまでバンド名をつけようっていう積極的な話はあまり出なかったんだが、僕自身はバンド名をつけたほうが生活の中で整理しやすい(笑)ってのがずっとあった。
その頃の僕のバンド名構想に、①ご存知XTCのネーミングは“エクスタシー”からきてる、②デュシャンの有名な『L.H.O.O.Q.』は、フランス語で続けて読むと「彼女の尻は熱い (Elle a chaud au cul、エラショオキュー)」と同じ発音になるっていう2点があった。
そして同じ頃に読んだ時代小説から“抜刀”という言葉がひらめき、その響きに魅せられた僕は、即座に“X2”の当て字を思いついたのだった。
まぁ、ひらめいた瞬間は、ホームランを打ったような心境だったが、今思うと非常に作為的で恥ずかしい。
他のメンバーはどうか知らんが、僕の持ち物のあちこちにはRYUさんデザインのECロゴ&ハシビロコウが溢れてる。
2007年11月07日
ドリームス
桜の葉も落ち始め、しばらく隠れていた向こうの風景が見え始めた。
なぜか家の中に迷い込んできたショウリョウバッタ(多分)
外に出てみると、なるほど、まだ虫の音が聞こえる。
迷い込んだバッタは、さすがに動きが緩慢。
すでに夢うつつか、接写にも快く応じてくれた(笑)
「ドリームス」といえば、僕にはフリートウッドマックのアルバム「噂」に収録された曲をまず思い出す。
ほぼ2コードの繰り返しにひたすら透明感のあるサウンド。
シンプルなアレンジにスティービーニックスの、愛らしくも爬虫類っぽい声が、淡々と、しかし優雅にからむ。
抑制されたアコースティックギターの刻みは、遠い記憶のように頭から離れない。
最近は「ドリームス」といえばクランベリーズ。
CMなどでも耳にするんで、若い世代にはこっちの曲の方がポピュラーだろう。
EC『思い出の町から』(Ryuさんはいつも“凍てついた町”と表現)は、僕がECで初めてリーダーの詩に曲をつけた曲。
着手は2005年の10月か11月だったと思う。
実は意外にあっさりとメロディーは完成した。
このときは、まさに、“メロディーの神”降臨だった(笑)
アレンジは少しバウンスするノリを狙ったが、大きくは弾き語りをベースにしたようなイメージで、バンドに持っていけば何とかなるさぐらいの感じ。
ECでもリハ開始時は、いきなりのギターに各々メンバーが適当に音を重ねていく、リーダーお好みのスタイルだった。
イントロには当初、Aメロを使用していたが、この部分にお得意のカウンターラインを使用した(またかよ凸(▼へ▼メ))
少し緊張感を持たせるために、Dキーの曲だったがB♭を挿入した。
このイントロが某何とかの曲と同じだってことで、いきなりのギターは、リーダーがアルペジオで主導した。
そして当初のバウンスの目論見は、早い時期に挫折する。
悪くないとも思ったのだが、どうも垂れ流しになる。
多少の緻密なアレンジ、つまりは各パートに対するリクエストが面倒っだったいうのもある(自爆)
何度か自由に演奏したリハ音源を聴いたときに、イントロは曲のサビを使う方が良いように思えた。
結成1年間近の若々しさに溢れていたヾ(´▽`*;)ゝ
『思い出の町から』は同じパターンの<Aメロ→Bメロ→サビ>が3回続く。
大きな構成は、王道でかまわないから、後半に向けて盛り上げていくパターンでいこうと決めた。
それにはアルペジオ始まりも捨てがたかったのだが、どうも弱い感じがして、リーダーには申し訳なかったが、カウント始まりとした。
盛り上げていくための、単純にだんだん楽器を重ねていく、あるいは音数を増やす、などの作業を、各パートに委ねようと思った。
このときにひらめいたのが、クランベリーズの「ドリームス」だった。
何はなくとも、ベース&ドラムが流れているだけで進行する曲に仕上げてみたかった。
リハ音源で聴くギター2台の分散和音の加減は、やがて整理されたときには、極細に散りばめられた装飾品のようになりそうな気がした。
僕自身は何度かリハを重ねて、『思い出の町から』のベースは基本8分刻みでいこうと決めた。
そこで、盛り上げ方法のクリエイティブな作業は各パートに委ねるにしても、ドラマーだけには、僕のベースを聴いて判断してもらうだけではなく、具体的な曲のイメージを具体的な曲を例示して伝えておきたかった。
※フリートウッドマックも戸堀が先輩だが、クランベリーズも戸堀から教えてもらった。
クランベリーズを教えてもらったときには、クラウドベリージャムも一緒に教えてもらった。
...だが、僕のイメージはドラマーには、ぼんやりとして焦点が定まらなかったらしい。
そうこうしているうちに運命の2006年1月28日。
アビースタジオで『思い出の町から』をライブ録音することになる。
これが、またいい出来だったのだ。
この頃、同時に練習中だった「1000フィートの空から」「D-Lan」なども録音したことを思えば、かなりのスピードで曲が形作られていたことになる。
『思い出の町から』は何も考えてなかったのが幸いしてか、戸堀のドラムはところどころ玄人っぽくて嫌味にも聞こえる(;^_^A アセアセ
リーダーのヴォーカルがかなり切ない...
貴重なくらい切ない...
少なくとも僕にとっての『思い出の町から』はこのときの録音が基礎になった。
CDにも収録されてるが、RYUさんがメンバー配布用に荒くミックスしたバージョンが存在していて、実はこれが僕のお気に入りになっている。
その後、このメロディーラインの甘ったるさが気になった僕は、1番と2番の間にブリッジを8小節入れることにする。
これが現在の形。
ECの曲の大半はギターソロ~~~っていう部分が少ない。
『思い出の町から』も例外ではなく、怒涛のように1番から3番まで歌いきって終わり!で、ギターソロらしきものは、イントロやつなぎの間隙を突いて聞こえてくる。
それが理由だったわけではないのだが、この間奏は大成功だった。
(個人的には)
この間奏のRYUさんのギターの“硬さ”は劇的にシマリを魅せた。
メロディーラインの甘ったるさを対極に押しやってくれる。
間奏をいれたいおかげで少し曲時間も長くなった(笑)
残念ながらCDには収録されていない。
2007年10月17日
ジェイルブレイク
ジェイルブレイク収録
( ̄~ ̄;)ウーンここ10年近く、YAMAHAの手帳を愛用しているのだが、今日はショパンの命日らしい。
それはさておき、へっへ~んだ!
AC/DC!
まぁ僕とて、AC/DCについては単なるミーハーの域をでていないのだが、AC/DCの曲の中で一番好きな曲。
それだけに影響を受けないわけにはいくまいて...
δ(⌒~⌒ι) とほほ...
EC『吹きつける風』はリーダーの歴史が物語る古いオリジナルソング。
現在のアレンジはRYUスタイルで、ECサウンドはほぼ忠実にそのアレンジをなぞっている。
ECレパートリーのTOPを飾って2年以上演奏してきたわけだが、バンドも2年も過ぎると変化の兆しなのである。
久々にRYUデモを聞きなおしてみると、なぞってたつもりが、ずいぶん変化していることに気づく。
リハーサル音源を聴き直しても、ベースに関してはすでに初期の段階で、自分なりの消化の仕方をしていたようだ。
さて、その変化が、自分には面白くなかった。
正確には2年を経て、『吹きつける風』に対する自分のアプローチが気に入らなくなったのだ。
ベースがうまくなったとか、下手になったとかじゃなくて、演奏する自分が変わってしまったのだ。
RYUデモの方が、曲が素敵にローリングしているように思えるのだ。
なんなんだっ!
のらない原因、転がらない原因はさまざまだが!
そんなとき何気に響いたのがAC/DCのジェイルブレイク。
ほぼワンコードで押しまくるだけなのにこの盛り上がり。
例によって美メロがあるわけでなし、印象的なギターフレーズが繰り返されるのみ。
ところがこのフレーズの妙がな...
そっと僕にヒントをくれたのだ。
アクセルとブレーキの秘密を少しだけ。
具体的には言えない! 言えん!
多分、ベースを聞き比べるだけでは分かるまい、そんなヒントだった。
戸堀が嫌がろうと、ECサウンドにAC/DCの、そう、ベーシストにはその影響が“大”だっ。
2007年10月16日
ラヴ
『love』 収録
1982年以前、ジョンレノンどころかビートルズも知らなかった僕なんだが、その曲郡はどこかしらで耳にしたことがあるものだ。
『love』もジョンの曲だと知る前に、僕の古い(おそらく1980年以前)エアチェックしたテープの中に、誰か日本人男性のカヴァで納められていて、知っていた。
それが誰だったのか。
僕はそのテープの前後の収録曲、そして澄んだ高音のヴォーカルから、「シグナル」か「BUZZ」がカヴァしたものだと考えていたのだが、確信は持てずにいた。
カヴァっていうか、しばらくは曲名さえも知らなかったわけで。
インターネットが普及しさまざま、且つ膨大な情報を得られるようになっても、「シグナル」にも「BUZZ」にもディスコグラフィには『LOVE』の曲名は見つけられなかった。
1970年代当時の叙情フォークグループに間違いはないと思ってるんだが...
ちなみに『LOVE』は初めてピアノでアルペジオ伴奏を練習した曲。
...サビの部分を歌って弾くことができずに、ついぞ完成するまでにはならなかった...
(oi-i)o
さて『Ballad of K』の制作は、行き詰まりからほったらかしだった頃、僕は、アルバム「プラスティックオノバンド」と出会い、『LOVE』の原曲と出会うことになる。
あの曲はζ゜ ジョンレノンのカヴァで『LOVE』という曲だったのだ...
そして『LOVE』の詩を読んだときに『Ballad of K』のBメロの着想を思いつく。
らぶいずりある、りあるいずらぶ~...と逆転しながら続く詩のリズムに、僕の稚拙な英語力でもひらめいた歌詞があった。
当時ベースで参加していたバンドが日本語曲を演奏していなくて、またオリジナル曲も英詩で、っていう流れがあった。
( ̄ー+ ̄)キラーン
わんてどゆー、ばっとでぃどぅんとわんとみ~~
初期衝動としての、めちゃめちゃ棒読みシャウトな詩とメロディが同時に生まれた。
それを機会にそれまで日本語だったAメロも英詩へ変換という過程をたどる。
しかし!
稚拙な英語力では1行の詩にとどまってしまうことになる。
またこのときは韻を踏むことにもこだわっていたため、連日辞書との格闘が続いたのだが...。
我流な英詩はもしかしたら外国の方からすると、とっても“文語体”な詩であったかもしれない!
いやいやそれより、稚拙な英語力で韻を踏むことにこだわったため、“ウソっこ英語”になってる(核爆)
ちなみに現在はAメロも手直しし、Bメロの詩は1番2番とも改変されている。
一応帰国子女の知人に見てもらったところ、問題ないとのことである。
アレンジだが、当時も今も、カウンターラインが大好きな僕は、単純なBメロのコード進行にベースのカウンターを採用した。
自分が歌いやすいというのもあった。
60年代後期のビーチボーイズの影響もあって、ベースがコードのルートから遠ざかるってスタイルにカッコよさを感じていた僕は、AメロでもONベースを提案するが、当時のメンバーに拒否される。
今になって思えば、ギタートリオでそれは明らかに狙いの外れた作為になっていたと反省してる。
いじりすぎだな、曲には何の関係も無い。
もう一つ、Aメロのドラムパターン。
戸堀は何の抵抗もなく、1小節の4拍目だけにスネアを入れてくれている。
ところが当時のドラマーは、このアレンジを納得してくれなかった。
2拍目にもスネアを入れるべきだ、と強力に主張される。
自分自身でも2拍目のスネアを入れないことに、絶対的な、替えがたい正当性を感じていたわけではなかったのだが、結局Aメロ部分から普通に2拍、4拍でスネアを入れることを納得した。
ドラマーがなぜああも2拍4拍打ちを主張したのかは記憶には残っていない。
まあ、当時の演奏をあらためて聞き直して、自分の狙いと大きな差異があったとは思えないが、しかし、ECの演奏においてはAメロのスネアは4拍目だけに打つ戸堀のドラムが正解だと思ってる。
そんなこんなで1988年か89年頃、一度ライブで演奏することになる。
場所は高円寺のACTだったか、そんな名前のライブハウスだったな。
ベースはリッケンバッカー、自分のアンプ、マーシャルの50ワットと8発キャビネットを持ち込んでのライブだった。
後半のシャウトは、リハーサルなんかしてなかった。
このときのライブで、思わず叫んでしまったのが最初だった。
2007年10月15日
Jのバラード
Jのバラード収録
ハウンドドッグがまだ僕の、そして東北の星だった頃、通算5枚目のオリジナルアルバム。
ハウンドドッグのディスコグラフィは、僕の青春と重なり、フォルテシモで、僕の青春も僕の中のハウンドドッグも終わることになる。
さて『BRSH BOY』の発売は1983年夏だったと思う。
先行シングルの「STILL!」は、空手家NUNOTAの家で、土曜のFMラジオで聴いた。
その日大友がゲストで出演してたんだ。
珍しいYAMAHAのテープにダビングして聴いてた。
「Ballad of K(Kのバラード)」は“Jのバラード”とは何の関係も無い。
Kの着想時期とまったく重なるのだが、当時はそのモチーフのみで題名などついていなかった。
胸にジンときても、そこは大人の歌だった“Jのバラード”は、本質として理解、消化するには、高校生の僕はあまりに幼かった。
「Ballad of K」のネーミングは、初めて曲として形作られた頃、おそらく1987年ごろに、なるべくシンプルな題名をと考えてつけたものだ。
1987年頃、「Ballad of K」はわずか8小節、現在の形のAメロの部分のみだった。
これで充分だと思った。
単純なリフを繰り返し盛り上げていく、カノン的アプローチを狙ったのだ。
詩も同じこと、ただシンプルに言いたい一言を繰り返せばいい。
同様の手法を某洋ROCKバンドからインスピレーションを受けての実験だった。
しかしそううまくいくものではない。
技量も知識もまるで足りなかった。
スピードを早くするだけ、音数を増やすだけでは曲はまるで盛り上ってくれないのだ。
挫折。
何かヒントを探す日々。
2007年10月14日
ボビージーン
bobby jean 収録
高校時代、戸堀が編集してくれたスプリングスティーンのベストの中で、「ボーン・イン・ダ・USA」からチョイスされたのが、“ノーサレンダー”と“ボビージーン”だった。
戸堀の基準は不明だが、確かに、ボビージーンは狭い視点で戸堀と共有できた数少ない1品だと思う。
イメージの中のアメリカ。
サム・シェパードの「Fool for Love」の映像世界、土埃舞う、そんなドライ感があまりに新鮮な曲だった。
英詩をソラで何となく歌えるようになったのは、この“ボビージーン”と“サンダーロード”が最初だったと思う。
それぐらい聴いた。
訳詩と英詩を見比べながら。
考えてみると、以後もソラで歌えるROCKはほとんど増えてないことに気づく。
さてECに提供した新曲「1982」は「Kのバラード」3部作構想の第2部にあたる。
詩についてはすでに20年前に完成されていた。
完成されていたというか、それは散文の形で、歌の詩としてはとても不適当だった。
しかし、僕はその散文をどうしてもそのまま歌にしたいと思った。
それ以前、スプリングスティーンや、ディランの訳詩を読みながら、当時僕が聴いていた日本の歌の整然とした感じに多少の違和感を覚えていた。
「1982」は、自分自身のリアルな体験から、色のついた印象的なイメージを日本語で書き綴ったものが原詩となったが、ボビージーンの詩を意識していたのは間違いなく、原体験と似通った一節を拝借した!(はっきり、パクリだ)
「1982」という曲名は今回ECで演奏するために改題されたもので、原詩は『2791・〇△◇☆』という僕には忘れがたい数字を題名にしていた。
詩は完成(?)したが、メロディーをつけることは、僕にはできなかった。
ワンセンテンスの字数も適当な、日記のような散文そのままの詩は歌にならなかった。
詩の世界全てを歌いきることもできそうになかった。
僕が望むような歌にはならなかった。
思いを形にすることはできなかった。
動機を形にするテクニック、アイデアの不足も原因だった。
そのままほったらかしの状態が続き、2,3年たったある日、英詩にすることを思いつく。
「Kのバラード」を演奏したバンドはとうに解散していたが、英詩にすれば、ボビージーンみたいに歌えるんじゃないかと思った。
今であれば中高生程度の英語力とインターネットを駆使して、自分で訳すこともできそうだが、当時の僕には何の力量もなく、英訳してくれる人を“探す”しかなかった。
そうしているうち、知人の知人(まったく面識無し!)に英訳してもらう機会を得た。
知人を仲介にして訳してもらったのだが、知人との関係も遠いものだったらしく、今もって、それが誰だったのか、すでに15年以上の時間が経過し、突き止めるのは困難となってしまい、この場を借りてお礼申しあげる次第です。
さて、英訳にしては見たものの、その情報量の多さに作業はまたも中断してしまう。
(しかしこの時期、「Kのバラード」の方はモチーフに見合うテーマを完成し、現在の形のアレンジが完成する)
1995年ごろ、ちょうど、リーダーの多大な好意で今の居に移ることになり、充分な創作環境を得た僕は、再度「1982」に挑むことにした。
すでにテンポ120と決めていたし、僕が歌うという前提でのベースは8部刻み(笑)も変えようがなかった。
おぼろげなメロディーを口ずさみながら、アウトラインを完成し、できるだけシンプルなコード進行にした。
サビの“456”進行は定番、お決まりの進行だし、「Kのバラード」にも採用されたものだが、おぼろげに浮かんだメロディをより際立たせるために、あえて小細工しなかった。
大きな目標はボビージーンだったが、それはアレンジを妨げるものではなかった。
薄らぎぼやけていく思い出、そう、鮮明な思い出としてではなく、ただ、乾燥し、枯れていく印象として表したかった。
ドラムはシンプルに8ビート、、忍耐、ドラムの役目をこなす。
1stギターはエレキのクリーントーンで曲を進行させる役目を狙った。
当時はギター2台を想定しておらず、リズム楽器はピアノとした。
ディストーションがかかったギターではなく、乾いたピアノの硬い響きが直線的なギターの上下に渦巻くような感じにしたかった。
タンプルウィード。
もう一つ「Kのバラード」のように、モチーフに見合った「テーマ」、うん、ソロ楽器が奏でる印象的なフレーズを決めることが大事だった。
テーマはサビのコード進行、“456”進行にのせていく。
“456”進行の上昇系に対して反進行させることは決めていた。
結果、ある程度納得できるテーマメロディができたのだが、これが歌メロを凌駕してしまうことになる。
普通に思いの丈をぶちまけたんならいいじゃないか? と思いつつ、心のもやもやを吹っ切れずに、再度歌メロディの練り直しを始めてしまう。
元より、英詩にぴったりハマったとも思えなかったことあり、ここでまた「1982」制作は中断してしまう。
そして10年、Aメロを手直しし、サビはテーマメロディを唄うことに自分自身がある程度納得できたのがここ最近。
「Rewind Me」がボツってしまったのも、勢いに関係しているとも思う。
2007年10月13日
見つめていたい
every breath you take 収録
アルバム、シンクロニシティを「今頃?」購入した戸堀の記憶も新しい。
僕のリアルタイムな洋楽志向は、「見つめていたい」で本格的に始まった。
当時、大晦日のNHKのラジオから流れてきた印象的なアルペジオと、大サビのスティングのシャウトのインパクトは今でも忘れられない。
その後、数年経ち、自分でも曲を作るようになって、この曲が最もオーソドックスな“1645”の進行であることに気づく。
ポリスをある程度聴きすすんでいくと、「見つめていたい」はポリスの中では特殊な曲、ポリスらしからなさを感じるのだが、それでも他者との比較では際立つ。
おそらく五万とある“1645”進行の曲のなかでも特にシンプルでありながら、2度を加えたアンディのアルペジオの響き、空間を演出するピアノは僕を苦しめる。
僕はまったく“1645”進行の曲を創らなかった。
全ては「見つめていたい」を越えたい、せめて同等の曲を創りたいと渇望するがために、「見つめていたい」が大きなブレーキとなって、どんなメロディを創っても必ず“1645”進行を意識的に避けてきた。
自分が最高に納得できなければ“1645”進行にできない、“1645”進行は僕の中で唯一にしたい、と勝手に自分を縛りつけてしまった。
その前に、EC「Kのバラード」に触れておかなければならない。
EC「Kのバラード」の着想は「見つめていたい」の頃にまで遡る。
そのときにはわずか数行のモチーフが記されたのみだったが。
(「Kのバラード」1番、2番のAメロ部分がそのときのモチーフ、そのまま)
しかし数行のモチーフの内包する世界は膨大であり、満足のいく構想ができあがるまで数年かかることになる。
「Kのバラード」は不完全なまま一度トリオアレンジで演奏されることとなるが、そのときにバンドのカラーから詩が英語に翻訳された。
アレンジに対するイメージが具体化されるまでにはさらに数年かかるのだが、バンドサウンドとして結実するのはEC結成まで待つことになる。
EC結成後、僕の計画の中で「Kのバラード」構想は具体的に3部作になる。
第1作が「Kのバラード」、以降、第3作が現在悪戦苦闘中の「1982」。
間を埋める第2作が「Rewind Me」となるはずだった。
3作全てに共通するのは、モチーフとテンポ120、8ビート。
「Rewind Me」のみ歌詞が日本語。
前説が長くなってしまったが、実は「Rewind Me」こそは果敢に“1645”進行に挑戦した曲なのだ。
ボツってしまったが、“1645”進行を繰り返し、大サビをくっつける手法、エンディングでのコーラスワークはECでは無理として、ギターワークでカヴァーできないかとアレンジを施した。
デモテープはある程度の荒いイメージとして、ECでバンドサウンドとして完成したときには、「見つめていたい」に迫れるのでは!?と少しはワクワクした。
敗因はわからないが、僕の個人的観測として、①歌詞が日本語ということで、リーダーに歌わせようとしたこと、②その歌詞が、リーダーの音楽的世界観、ECの世界観とはかけ離れていたこと、③「また8ビートかよ!」という当時の辟易ムードが挙げられる。
そして、なぜか第3作「1982」は現在アンサンブル過程に突入する。
話しはややこしくなるが、実は「Rewind Me」で試したかったサウンドが「1982」で試されようとしている。
具体的にはギターRyuさんのアルペジオワークだが、これは「Rewind Me」で試してみたかったものだが、デモテープは置いといて、実際のスタジオワークでの歌からひらめくものがそういうものである以上、今は成り行きを見守ろうと思っている。
2007年09月25日
シェイプス!
新曲のアウトラインをメンバーに配信。
ボーカルにはもっと詩を書いて欲しい。
なんたって、作曲に“詩の衝動”は不可欠。
そんなわけで、またまた詩も少し書く。
ここが時間がかかるところ。
中秋の名月。
僕には高校時代から書き溜めた「思いつきノート」がある。
これ無しには詩を完成することはできない。
衝動は一つあればいいが、衝動一つを3分間の曲にするにはテクニックが必要だ。
しかし、もう、日本語で、字数を揃えたり、メロディーを同じにしたりといったことはしなくなった。
今はディランやスプリングスティーンの歌をマンマ見習うようになった。
2007年09月19日
「Answer」
ECでボツった曲。
8ビートの曲が多いってんで6/8拍子の曲に仕上げてみたんだが、2回のリハでお蔵入り。
なんてったて、悪寒がしそうな、生き残りフォーク的な詩の内容は、“Eazy Company”としては、かなりマズかったか(笑)
僕に染み付いて離れないのは、いつだって70年代のいわゆる叙情フォーク。
ぺこ <(_ _)>申し訳ない...
しかし、個人的には詩のセンスはなかなかで、40歳で振り返る悲恋という意味でも傑作だと思う(自爆)
「Answer」はひとつの完結しなかったラブストーリーの形をとっているんだが、実は巧妙に二つの恋物語を四季のイメージとともに織り込んだ曲なのだ。
自分で言うのもなんだが、曲名の「Answer」も、これまた巧妙なアナグラムなんである。
今日僕は、多摩のとある景色の中にいた。
「Answer」の中に出てくる具体的に表現された地名は横浜だけなのだが、実は曲の中で描かれた風景は僕の家から車で20分くらいの郊外。
僕はなぜ「Answer」に二つのストーリーを織り込んだのか。
僕は自分で描いた風景をもう一度車で流しながらボンヤリと考え込んでみる。
ボツになっても、未だに僕にはとてもクリエイティブな産物なのだ。
一緒にいて欲しかった人と、一緒にいた人。
憧れと現実。
自分の本心とは裏腹に大事にしておこうとする現実と、乱暴に扱ってしまう憧れと。
小雨の中で少しカッコつけてノスタルジックしてみる。
憧れを強引に、わがままに現実とすり替えたかったか。
どうしようもない憧れを、強引に、わがままに押さえつけた結果か。
20歳の頃と、30歳の頃と、今とどう変わった?
少しだけ、判断力を増すための知識を得ただけなのだと、改めて思う。
今は、もう、何も始まらなかったんだ、と思い込んでみる。
今はそれが「Answer」。
この風景と出会ったのは冬。
今日の街路樹のケヤキは、まだいっぱいに葉をつけたままだった。