« 2007年09月 | メイン | 2007年11月 »
2007年10月30日
フェルトのペンケース
きっかけは「歯」がきれいに書けないことからはじまった、書き順の迷宮。
「趣」「超」は“走”を書いてから“取”“召”を書く。
しかし「速」などは“束”を書いてから“之(しんにょう)”を書く。
漢字を美しく書くには書き順がとても大事だと思うのだが、漢字の成り立ちは、パッと見のバランスとは無縁のようだ。
2007年10月27日
とぼぢ抄
忙しい1週間が終わった。
とどめは10/26。
朝6:30に尼崎から三重へ(180km)、入札を終えて飯を食って名古屋(100km)、中部営業所で関西営業所のライフライン、搬入品の手配をしてお買い物。
16:30に大阪へ帰宅するが、事故渋滞があって3時間かかった。
出発から13時間、走行距離480km。
寝ないように日本語ロックで叫びながらのドライブでした。
ベース(高橋亘)は仕事で運転はうらやましいといっていたが、こんなのは年に一回でこりごりだ。
11/2から大阪市での新生活が始まるんるん。
2007年10月25日
spiral
米、書き順を間違ってました。
上から“八” “十” “八” と書いていくのでつね...
これまでは“十” “八” “八” と書いてました。
「歯」を書きにくかったので調べてみた結果!
りーだー...(TωT)ごめんなさいっ。
2007年10月23日
ストレンジデイズ
なんかグルグルもやもやな毎日。
朝6666のベンツ。
猛スピードでターンシグナルも出さず、支線から本線に突入。
あっという間に姿が見えなくなる。
その後、すぐの信号で停車すると、僕の前には7777の軽自動車。
直進の軽自動車を見送って左折した僕の前に、今度は・777のAMG。
ふと対向車を見ると・・55の車がかすめていく。
不思議な世界へ迷い込んだみたいに、気分が悪くなった。
ときどきあるんだ。
わずか20分の間にビークロス、または、アルシオーネSVXを立て続けに2台見かけたりとか。
2007年10月22日
morrison hotel
ちょっと休憩する!
疲れてるんだが、今週はめちゃめちゃ忙しい!
今度は3週間バンドのリハが無い。
次は11月だど!
戸堀、
」(・。・;)「/」(・。・)」バトンタッチ!
2007年10月18日
気分を変えて

りえ殿に影響されて、花びら5枚のキンモクセイを探す。
時すでに遅し。
キンモクセイを見つけても、シワシワばっかり。
で、やっと見つけたのが↑。
かろうじて...
かなりいびつ...
壁┃oT) ウルルルー
2007年10月17日
ジェイルブレイク
ジェイルブレイク収録
( ̄~ ̄;)ウーンここ10年近く、YAMAHAの手帳を愛用しているのだが、今日はショパンの命日らしい。
それはさておき、へっへ~んだ!
AC/DC!
まぁ僕とて、AC/DCについては単なるミーハーの域をでていないのだが、AC/DCの曲の中で一番好きな曲。
それだけに影響を受けないわけにはいくまいて...
δ(⌒~⌒ι) とほほ...
EC『吹きつける風』はリーダーの歴史が物語る古いオリジナルソング。
現在のアレンジはRYUスタイルで、ECサウンドはほぼ忠実にそのアレンジをなぞっている。
ECレパートリーのTOPを飾って2年以上演奏してきたわけだが、バンドも2年も過ぎると変化の兆しなのである。
久々にRYUデモを聞きなおしてみると、なぞってたつもりが、ずいぶん変化していることに気づく。
リハーサル音源を聴き直しても、ベースに関してはすでに初期の段階で、自分なりの消化の仕方をしていたようだ。
さて、その変化が、自分には面白くなかった。
正確には2年を経て、『吹きつける風』に対する自分のアプローチが気に入らなくなったのだ。
ベースがうまくなったとか、下手になったとかじゃなくて、演奏する自分が変わってしまったのだ。
RYUデモの方が、曲が素敵にローリングしているように思えるのだ。
なんなんだっ!
のらない原因、転がらない原因はさまざまだが!
そんなとき何気に響いたのがAC/DCのジェイルブレイク。
ほぼワンコードで押しまくるだけなのにこの盛り上がり。
例によって美メロがあるわけでなし、印象的なギターフレーズが繰り返されるのみ。
ところがこのフレーズの妙がな...
そっと僕にヒントをくれたのだ。
アクセルとブレーキの秘密を少しだけ。
具体的には言えない! 言えん!
多分、ベースを聞き比べるだけでは分かるまい、そんなヒントだった。
戸堀が嫌がろうと、ECサウンドにAC/DCの、そう、ベーシストにはその影響が“大”だっ。
2007年10月16日
ラヴ
『love』 収録
1982年以前、ジョンレノンどころかビートルズも知らなかった僕なんだが、その曲郡はどこかしらで耳にしたことがあるものだ。
『love』もジョンの曲だと知る前に、僕の古い(おそらく1980年以前)エアチェックしたテープの中に、誰か日本人男性のカヴァで納められていて、知っていた。
それが誰だったのか。
僕はそのテープの前後の収録曲、そして澄んだ高音のヴォーカルから、「シグナル」か「BUZZ」がカヴァしたものだと考えていたのだが、確信は持てずにいた。
カヴァっていうか、しばらくは曲名さえも知らなかったわけで。
インターネットが普及しさまざま、且つ膨大な情報を得られるようになっても、「シグナル」にも「BUZZ」にもディスコグラフィには『LOVE』の曲名は見つけられなかった。
1970年代当時の叙情フォークグループに間違いはないと思ってるんだが...
ちなみに『LOVE』は初めてピアノでアルペジオ伴奏を練習した曲。
...サビの部分を歌って弾くことができずに、ついぞ完成するまでにはならなかった...
(oi-i)o
さて『Ballad of K』の制作は、行き詰まりからほったらかしだった頃、僕は、アルバム「プラスティックオノバンド」と出会い、『LOVE』の原曲と出会うことになる。
あの曲はζ゜ ジョンレノンのカヴァで『LOVE』という曲だったのだ...
そして『LOVE』の詩を読んだときに『Ballad of K』のBメロの着想を思いつく。
らぶいずりある、りあるいずらぶ~...と逆転しながら続く詩のリズムに、僕の稚拙な英語力でもひらめいた歌詞があった。
当時ベースで参加していたバンドが日本語曲を演奏していなくて、またオリジナル曲も英詩で、っていう流れがあった。
( ̄ー+ ̄)キラーン
わんてどゆー、ばっとでぃどぅんとわんとみ~~
初期衝動としての、めちゃめちゃ棒読みシャウトな詩とメロディが同時に生まれた。
それを機会にそれまで日本語だったAメロも英詩へ変換という過程をたどる。
しかし!
稚拙な英語力では1行の詩にとどまってしまうことになる。
またこのときは韻を踏むことにもこだわっていたため、連日辞書との格闘が続いたのだが...。
我流な英詩はもしかしたら外国の方からすると、とっても“文語体”な詩であったかもしれない!
いやいやそれより、稚拙な英語力で韻を踏むことにこだわったため、“ウソっこ英語”になってる(核爆)
ちなみに現在はAメロも手直しし、Bメロの詩は1番2番とも改変されている。
一応帰国子女の知人に見てもらったところ、問題ないとのことである。
アレンジだが、当時も今も、カウンターラインが大好きな僕は、単純なBメロのコード進行にベースのカウンターを採用した。
自分が歌いやすいというのもあった。
60年代後期のビーチボーイズの影響もあって、ベースがコードのルートから遠ざかるってスタイルにカッコよさを感じていた僕は、AメロでもONベースを提案するが、当時のメンバーに拒否される。
今になって思えば、ギタートリオでそれは明らかに狙いの外れた作為になっていたと反省してる。
いじりすぎだな、曲には何の関係も無い。
もう一つ、Aメロのドラムパターン。
戸堀は何の抵抗もなく、1小節の4拍目だけにスネアを入れてくれている。
ところが当時のドラマーは、このアレンジを納得してくれなかった。
2拍目にもスネアを入れるべきだ、と強力に主張される。
自分自身でも2拍目のスネアを入れないことに、絶対的な、替えがたい正当性を感じていたわけではなかったのだが、結局Aメロ部分から普通に2拍、4拍でスネアを入れることを納得した。
ドラマーがなぜああも2拍4拍打ちを主張したのかは記憶には残っていない。
まあ、当時の演奏をあらためて聞き直して、自分の狙いと大きな差異があったとは思えないが、しかし、ECの演奏においてはAメロのスネアは4拍目だけに打つ戸堀のドラムが正解だと思ってる。
そんなこんなで1988年か89年頃、一度ライブで演奏することになる。
場所は高円寺のACTだったか、そんな名前のライブハウスだったな。
ベースはリッケンバッカー、自分のアンプ、マーシャルの50ワットと8発キャビネットを持ち込んでのライブだった。
後半のシャウトは、リハーサルなんかしてなかった。
このときのライブで、思わず叫んでしまったのが最初だった。
2007年10月15日
Jのバラード
Jのバラード収録
ハウンドドッグがまだ僕の、そして東北の星だった頃、通算5枚目のオリジナルアルバム。
ハウンドドッグのディスコグラフィは、僕の青春と重なり、フォルテシモで、僕の青春も僕の中のハウンドドッグも終わることになる。
さて『BRSH BOY』の発売は1983年夏だったと思う。
先行シングルの「STILL!」は、空手家NUNOTAの家で、土曜のFMラジオで聴いた。
その日大友がゲストで出演してたんだ。
珍しいYAMAHAのテープにダビングして聴いてた。
「Ballad of K(Kのバラード)」は“Jのバラード”とは何の関係も無い。
Kの着想時期とまったく重なるのだが、当時はそのモチーフのみで題名などついていなかった。
胸にジンときても、そこは大人の歌だった“Jのバラード”は、本質として理解、消化するには、高校生の僕はあまりに幼かった。
「Ballad of K」のネーミングは、初めて曲として形作られた頃、おそらく1987年ごろに、なるべくシンプルな題名をと考えてつけたものだ。
1987年頃、「Ballad of K」はわずか8小節、現在の形のAメロの部分のみだった。
これで充分だと思った。
単純なリフを繰り返し盛り上げていく、カノン的アプローチを狙ったのだ。
詩も同じこと、ただシンプルに言いたい一言を繰り返せばいい。
同様の手法を某洋ROCKバンドからインスピレーションを受けての実験だった。
しかしそううまくいくものではない。
技量も知識もまるで足りなかった。
スピードを早くするだけ、音数を増やすだけでは曲はまるで盛り上ってくれないのだ。
挫折。
何かヒントを探す日々。
2007年10月14日
ボビージーン
bobby jean 収録
高校時代、戸堀が編集してくれたスプリングスティーンのベストの中で、「ボーン・イン・ダ・USA」からチョイスされたのが、“ノーサレンダー”と“ボビージーン”だった。
戸堀の基準は不明だが、確かに、ボビージーンは狭い視点で戸堀と共有できた数少ない1品だと思う。
イメージの中のアメリカ。
サム・シェパードの「Fool for Love」の映像世界、土埃舞う、そんなドライ感があまりに新鮮な曲だった。
英詩をソラで何となく歌えるようになったのは、この“ボビージーン”と“サンダーロード”が最初だったと思う。
それぐらい聴いた。
訳詩と英詩を見比べながら。
考えてみると、以後もソラで歌えるROCKはほとんど増えてないことに気づく。
さてECに提供した新曲「1982」は「Kのバラード」3部作構想の第2部にあたる。
詩についてはすでに20年前に完成されていた。
完成されていたというか、それは散文の形で、歌の詩としてはとても不適当だった。
しかし、僕はその散文をどうしてもそのまま歌にしたいと思った。
それ以前、スプリングスティーンや、ディランの訳詩を読みながら、当時僕が聴いていた日本の歌の整然とした感じに多少の違和感を覚えていた。
「1982」は、自分自身のリアルな体験から、色のついた印象的なイメージを日本語で書き綴ったものが原詩となったが、ボビージーンの詩を意識していたのは間違いなく、原体験と似通った一節を拝借した!(はっきり、パクリだ)
「1982」という曲名は今回ECで演奏するために改題されたもので、原詩は『2791・〇△◇☆』という僕には忘れがたい数字を題名にしていた。
詩は完成(?)したが、メロディーをつけることは、僕にはできなかった。
ワンセンテンスの字数も適当な、日記のような散文そのままの詩は歌にならなかった。
詩の世界全てを歌いきることもできそうになかった。
僕が望むような歌にはならなかった。
思いを形にすることはできなかった。
動機を形にするテクニック、アイデアの不足も原因だった。
そのままほったらかしの状態が続き、2,3年たったある日、英詩にすることを思いつく。
「Kのバラード」を演奏したバンドはとうに解散していたが、英詩にすれば、ボビージーンみたいに歌えるんじゃないかと思った。
今であれば中高生程度の英語力とインターネットを駆使して、自分で訳すこともできそうだが、当時の僕には何の力量もなく、英訳してくれる人を“探す”しかなかった。
そうしているうち、知人の知人(まったく面識無し!)に英訳してもらう機会を得た。
知人を仲介にして訳してもらったのだが、知人との関係も遠いものだったらしく、今もって、それが誰だったのか、すでに15年以上の時間が経過し、突き止めるのは困難となってしまい、この場を借りてお礼申しあげる次第です。
さて、英訳にしては見たものの、その情報量の多さに作業はまたも中断してしまう。
(しかしこの時期、「Kのバラード」の方はモチーフに見合うテーマを完成し、現在の形のアレンジが完成する)
1995年ごろ、ちょうど、リーダーの多大な好意で今の居に移ることになり、充分な創作環境を得た僕は、再度「1982」に挑むことにした。
すでにテンポ120と決めていたし、僕が歌うという前提でのベースは8部刻み(笑)も変えようがなかった。
おぼろげなメロディーを口ずさみながら、アウトラインを完成し、できるだけシンプルなコード進行にした。
サビの“456”進行は定番、お決まりの進行だし、「Kのバラード」にも採用されたものだが、おぼろげに浮かんだメロディをより際立たせるために、あえて小細工しなかった。
大きな目標はボビージーンだったが、それはアレンジを妨げるものではなかった。
薄らぎぼやけていく思い出、そう、鮮明な思い出としてではなく、ただ、乾燥し、枯れていく印象として表したかった。
ドラムはシンプルに8ビート、、忍耐、ドラムの役目をこなす。
1stギターはエレキのクリーントーンで曲を進行させる役目を狙った。
当時はギター2台を想定しておらず、リズム楽器はピアノとした。
ディストーションがかかったギターではなく、乾いたピアノの硬い響きが直線的なギターの上下に渦巻くような感じにしたかった。
タンプルウィード。
もう一つ「Kのバラード」のように、モチーフに見合った「テーマ」、うん、ソロ楽器が奏でる印象的なフレーズを決めることが大事だった。
テーマはサビのコード進行、“456”進行にのせていく。
“456”進行の上昇系に対して反進行させることは決めていた。
結果、ある程度納得できるテーマメロディができたのだが、これが歌メロを凌駕してしまうことになる。
普通に思いの丈をぶちまけたんならいいじゃないか? と思いつつ、心のもやもやを吹っ切れずに、再度歌メロディの練り直しを始めてしまう。
元より、英詩にぴったりハマったとも思えなかったことあり、ここでまた「1982」制作は中断してしまう。
そして10年、Aメロを手直しし、サビはテーマメロディを唄うことに自分自身がある程度納得できたのがここ最近。
「Rewind Me」がボツってしまったのも、勢いに関係しているとも思う。
2007年10月13日
見つめていたい
every breath you take 収録
アルバム、シンクロニシティを「今頃?」購入した戸堀の記憶も新しい。
僕のリアルタイムな洋楽志向は、「見つめていたい」で本格的に始まった。
当時、大晦日のNHKのラジオから流れてきた印象的なアルペジオと、大サビのスティングのシャウトのインパクトは今でも忘れられない。
その後、数年経ち、自分でも曲を作るようになって、この曲が最もオーソドックスな“1645”の進行であることに気づく。
ポリスをある程度聴きすすんでいくと、「見つめていたい」はポリスの中では特殊な曲、ポリスらしからなさを感じるのだが、それでも他者との比較では際立つ。
おそらく五万とある“1645”進行の曲のなかでも特にシンプルでありながら、2度を加えたアンディのアルペジオの響き、空間を演出するピアノは僕を苦しめる。
僕はまったく“1645”進行の曲を創らなかった。
全ては「見つめていたい」を越えたい、せめて同等の曲を創りたいと渇望するがために、「見つめていたい」が大きなブレーキとなって、どんなメロディを創っても必ず“1645”進行を意識的に避けてきた。
自分が最高に納得できなければ“1645”進行にできない、“1645”進行は僕の中で唯一にしたい、と勝手に自分を縛りつけてしまった。
その前に、EC「Kのバラード」に触れておかなければならない。
EC「Kのバラード」の着想は「見つめていたい」の頃にまで遡る。
そのときにはわずか数行のモチーフが記されたのみだったが。
(「Kのバラード」1番、2番のAメロ部分がそのときのモチーフ、そのまま)
しかし数行のモチーフの内包する世界は膨大であり、満足のいく構想ができあがるまで数年かかることになる。
「Kのバラード」は不完全なまま一度トリオアレンジで演奏されることとなるが、そのときにバンドのカラーから詩が英語に翻訳された。
アレンジに対するイメージが具体化されるまでにはさらに数年かかるのだが、バンドサウンドとして結実するのはEC結成まで待つことになる。
EC結成後、僕の計画の中で「Kのバラード」構想は具体的に3部作になる。
第1作が「Kのバラード」、以降、第3作が現在悪戦苦闘中の「1982」。
間を埋める第2作が「Rewind Me」となるはずだった。
3作全てに共通するのは、モチーフとテンポ120、8ビート。
「Rewind Me」のみ歌詞が日本語。
前説が長くなってしまったが、実は「Rewind Me」こそは果敢に“1645”進行に挑戦した曲なのだ。
ボツってしまったが、“1645”進行を繰り返し、大サビをくっつける手法、エンディングでのコーラスワークはECでは無理として、ギターワークでカヴァーできないかとアレンジを施した。
デモテープはある程度の荒いイメージとして、ECでバンドサウンドとして完成したときには、「見つめていたい」に迫れるのでは!?と少しはワクワクした。
敗因はわからないが、僕の個人的観測として、①歌詞が日本語ということで、リーダーに歌わせようとしたこと、②その歌詞が、リーダーの音楽的世界観、ECの世界観とはかけ離れていたこと、③「また8ビートかよ!」という当時の辟易ムードが挙げられる。
そして、なぜか第3作「1982」は現在アンサンブル過程に突入する。
話しはややこしくなるが、実は「Rewind Me」で試したかったサウンドが「1982」で試されようとしている。
具体的にはギターRyuさんのアルペジオワークだが、これは「Rewind Me」で試してみたかったものだが、デモテープは置いといて、実際のスタジオワークでの歌からひらめくものがそういうものである以上、今は成り行きを見守ろうと思っている。
2007年10月12日
This is the moment
3年ぶりの青山ウィメンズプラザホール。
フォーラムイベントに参加。
今回は2年前の『Day by Day』のリベンジに挑む、AYUとのDuet『Tea for Two』
( ̄~ ̄;)
どうだったかな?
僕はうまい下手は置いといて、楽しめたよ。
キャラには合ってると思ったが、おしゃれに“粋”にDuetするって難しいよね。
『Tea for Two』は素材としては最高のナンバーだ。
場外でMr.Cotecchiに何かを要求している「荒皮静か」嬢をキャッチ。
今日の舞台監督はコノミン!
いやあ、『監督、お疲れ様!』
2007年10月11日
ロンリーバタフライ
夏の暑さをまだ肌が忘れられずにいるが、早起きして歩く戸外はもう初秋の冷たさ。
越冬するつもりか、この秋で燃えつきるのか、静かに風景の一部となるチョウチョ。
人間の感傷などは、きっと思いの外。
小さな魂は何を思う。
2007年10月10日
Low Life
秋分の日まではセミの鳴き声を確認した気がする。
気がつくと戸外で一番目立つのはキンモクセイとなる。
今年気がついたのだが、いつもの通り道のセンターを分ける樹木がキンモクセイだった。
街路樹にキンモクセイ?
背が高くならず間隔をあければそこそこ見通しもよろしい。
気がつかなかっただけだったのか、今年植え替えられたのか。
僕はキンモクセイの香りが大好きだ。
その香りは何をひきつけようとしているのかはわからんが、少なくともこの季節の僕を注目させる。
キンモクセイの香りには何の思い出もない。
つまりノスタルジックな要素はなにもないわけで、純粋に香りを楽しめるのだ...
2007年10月03日
Anything Goes

今日は2並びをゲトー。
今年は最高気温を記録した夏のイメージと感覚が身について離れない。
そんなわけで、朝晩のの肌寒さにも、まだまだ長袖を着る気にはなれない。
しかし、10月なんだよなあ。
家のCDプレーヤーが次々に壊れてしまった現状。
コンポのプレーヤーはとっくに読み出し不能!
その前にトレイが収納不能!って事態になってましたが...
パソコンのプレーヤーは、いつか落とした衝撃で、雑音が入りまくる。
いちいち参照するのにipodに取り込んでってのもなぁ。
そのipodも戸堀の借り物だったりして(笑)
そんなわけで、ここ1ヶ月ほど、借りたままのCDが傍らに積まれたままだ。
すまん、皆様、まだまだ借りておく!
ぺこ <(_ _)>
2007年10月02日
言い出しかねて
きみたち、ちょっと目つきが...
ネコの個体差はとても豊かだと思う。
ちょっと疲れたというか、浮遊しているような2日間。
2007年10月01日
Just Squeeze Me
10月になってしまった。
あと4分の一か。
油断してたらけっこう寒いんだな。
きっと近くにいると思う。